『ブッダのことば―スッタニパータ』(中村元訳、岩波文庫)を読んだ。
巻末の解説によると、スッタニパータは最初期の仏教の聖典らしく、聞き慣れている大乗仏教の教えとはかなり隔たりがある。
しかし、中村元も註釈のなかでさりげなく書いていたが、釈迦にはそもそも仏教という特別な宗教をつくる意識はなかったはずで、あったとすれば、「よく生きる」「よく死ぬ」とは何か、という問いの探究しかなかったはずだ。
だから僕らは、はるか後世につくられた大乗仏教の煩瑣な教学に囚われすぎてはいけないと思う。
ましてや、その教学に基づいて、「自分たちの信仰だけが正しい」、「自分たちの行動がいちばんの正義だ」、「自分たちだけが真実の生き方をしている」などと傲慢になってはいけない。
冷静に原点に帰ってみよう。
そこには、「これしかダメだ」という特別な祈りの方法も特別な経典もない。
スッタニパータで説かれている話の大半は、現代人にはそのまま受け入れられないと思う。
なぜなら、生の否定という色合いがものすごく強いからだ。
ただ、かなり釈迦の実際の説法に近かっただろうということなので、釈迦や直弟子たちの気分(修行の姿勢や生活など)をスッタニパータから想像することはできる。
また、その極端な生の否定の話も、裏返せば煩悩に囚われる人生は愚かだということになるので、その点では今でも十分に大きな示唆を与えてくれる。
「第三 大いなる章」の「矢」や「第四 八つの詩句の章」の「老い」などは、生老病死について端的に核心をついている。
僕自身は本文よりも、ほぼ半分近くを占める註釈を面白く読んだ。
註釈の所々で、当時のインドの生活や思想などについて説明してあって、それが本文の不思議な内容を理解する手助けになったり、今の仏教一般の解釈との違いがわかったりする。
たとえば、スッタニパータのなかで、ひとり離れて修行することの重要性が何度も説かれているが、それがどうしてなのか、ということは、インドの気候や当時の生活スタイルとともに理由が書かれている。
あえてその中身や該当ページは記さないので、興味のある人は探してみてください。
こういうプリミティブなものを読んで、仏教とはなんぞやということを、すべてのドグマから解放されて時々考えたほうがいい。
中村先生の訳した経典は他にも岩波文庫から出ているので、これを機に読んでみようと思う。
